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相変わらずクマった人たち
元ネタ:クマった人たち

団塊世代のあす:第1部 第2幕のベルが鳴る/6 革命、挫折…支えてくれた夫の死
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2006/01/07/20060107ddm041040119000c.html
◇終わらぬ二人の闘い

冷たい夜空にネオンが映える。昨年末、名古屋の繁華街。クマの帽子に和服姿の近藤ゆり子さん(56)が歌い、踊る。自衛隊のイラク撤退を求める集い。憲法9条の理念を歌で広める市民グループ「9map」(くまっぷ)の一員だ。街行く人は奇抜な姿にちらりと目をやり、通り過ぎる。

ダム問題、イラク戦争、憲法……。全国を駆け回る。岐阜県大垣市の一人住む家。リビングの棚の骨つぼに、愛する人が眠っている。

    ○……○

シュプレヒコールが街を包んだ時代。ゆり子さんはアノラック姿で東大全共闘のバリケードの中にいた。三つ編みの長い髪は、ヘルメットに隠れていた。

69年1月、学生がろう城した安田講堂は、機動隊に制圧された。ゆり子さんがいた別の校舎も落城した。

「私たちは何を社会に問おうとしていたのか」。平穏さを取り戻す大学で模索していた時、大学院生の正尚さんと出会う。4歳年上。21歳の誕生日に銀座でとんかつをおごってくれた。70年。恋の始まりだった。

一緒に暮らし始めた。東大を中退し、医院で働きながら准看護師学校に通う。正尚さんはタクシー運転手で生計を支えた。72年、連合赤軍の浅間山荘事件とリンチ殺人。彼らの失敗を「越えたい」と思った。

「あなたより運動を優先したい」。74年、ゆり子さんは小さなセクトに入る。正尚さんも後を追った。2人は別々の場所で集団生活。互いの連絡も取れない。正尚さんは耐え切れず、郷里の大垣に逃れた。

ゆり子さんも行動すべてを批判される日々。連合赤軍が陥ったリンチ殺人の論理にはまっていく。組織に絶望し、逃げた。76年秋、西へ向かう列車に乗った。

名古屋の医院や小料理屋で働きながら、正尚さんを捜す。その冬、再会。正尚さんは黙って受け入れた。

    ○……○

過去を断ち身を潜めるように大垣で暮らした。「とんでもない挫折」。その記憶を封印した。学習塾を始め、休みは2人で全国を旅した。

81年に婚姻届。「面倒になった。転がり込んだのは私だし」。戸籍制度や夫婦別姓へのこだわりも捨てた。

元闘士2人。「これでいいのか」。ただ、どうしていいか分からない。時の流れに任せるだけだった。

95年のオウム真理教事件が転機となる。他の考えを認めず、「社会は敵、弾圧を受けている」と、ハリネズミのように中でまとまったあのころ。オウムは同じに思えた。責任を感じた。

あの時代の総括はそう簡単ではない。ただ、何もしないでいるわけにはいかなかった。地元で進められる巨大ダム建設。95年末、反対運動に立った。19年ぶりに社会に向き合った。

暴力革命を信じた時代があった。今はそれをはっきり否定する。ただ、若い世代にこれだけは伝えたい。「もの言うことをためらうな。権威を簡単に信じるな。自分で考えろ」と。

    ○……○

98年夏の終わり、正尚さんは急死した。

今も正尚さんの部屋の壁には8年前のカレンダー。平家物語を琵琶で語る「名古屋平曲」の伝承者でもあった。机には楽譜がそのまま残る。時代に埋もれた曲の復元の道半ば。晩年、その伝承の真偽に疑念を示す学会の権威と闘い続けた。

いつか、棚の骨つぼを抱いて海に行き、散骨したい。闘いを終える時。それまでは一緒にいてほしい。

今はまだ、終われない。
9mapってまだ活動してたんだ、ビックリ、ビックリ。

やはり"市民"団体なんかにうつつをぬかしている連中はこういう全共闘崩れで真っ当な生活を営んだことのない暇人だったわけね。地方から東大まで行かせてもらって何が不満なんだか。もったいない。

流されるままに生きてきた人間が「自分で考えろ」なんてチャンチャラ可笑しい。「ドラゴン桜」でも言っていたが、既存の型を知らない人間にオリジナルなんてあり得ない。権威を否定した結果、何も残らなかったのはこの人の人生が将に体現している。

だいたい過去の「総括」もしないで「今はそれをはっきり否定する」もないもんだ。そんなに簡単に変われるものなら今の平和ヅラだってまたすぐ変われるさ。
by haruhico | 2006-01-11 20:40 | 亡国 | Trackback | Comments(0)
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