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雖然知道但無法停止
by haruhico
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漱石の「坊ちゃん」を"読んだ"ことがありますか?
新年明けましておめでとうございます。
本年も「社怪人日記」をよろしくお願いいたします。

正月3が日はいつも時間が無くて書けない長編を中心に。

新年1本目は、昨年一番おったまげた本の話を。

と言っても12/29の話だが。

有馬記念も終わったし、行きの通勤も空いてきたし、ということで、先日ごっそり買ってきた谷沢永一先生のハードカバーなんぞを電車の中で読んでいたところ、その中のとあるコラムを読んで、往復ビンタを喰らったような衝撃を受けた。

以下はその冒頭からの引用である。
 小説に描かれたイヤな奴の代表は夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる教頭の「赤シャツ」。帝国大学を卒業した、当時は希少価値の文学士で、カタカナの人名をふりまわし、琥珀のパイプを絹ハンカチでみがいたり、金鎖を下げているような「ハイカラ野郎」で、妙に女のような優しい声を出す。
 初対面のとき坊ちゃんが驚いたのは、この暑いのにフランネルのシャツを着ていること、しかもそれが赤シャツだから人をバカにしている。当人の説明では、赤は体にクスリになるから、衛生のためにわざわざあつらえるんだそうだ。坊ちゃんの呆れ顔はともかく、ではこのとき問題の赤シャツは、どんな種類のシャツだったか。
 現在のカッターシャツ、いわゆるワイシャツなのか、それともスポーツシャツか、あるいは丸首か。そして上半身はシャツだけなのか、上に何かを着ているのか。赤という色の印象が強すぎるため、服装全体のイメージがつい漠然となりやすいし、どの注釈書も今までハッキリさせてこなかった。その盲点をついた小池三枝は、「漱石作品における服飾」(お茶の水大『服飾美学』七号)で、赤シャツ全身の出で立ちにおけるキザの意味を、時代背景の中において考証している。
(『「坊ちゃん」の赤シャツ』初出 大阪読売新聞1978/10/02・谷沢永一「閻魔さんの休日」 文芸春秋 収録 P.73・太字はharuhicoによる)
小学校高学年時にポプラ社の緑のハードカバーで読んで以来、100回は読んでいるであろう「坊っちゃん」である。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」から「だから清の墓は小日向の養源寺にある」まで、諳んじるほどではないが、ここもよく憶えている。「赤シャツ」というキャラクターの造形の根拠となる大事なシーンだ。何をバカな、赤シャツは赤シャツに決まってるだろ、というのがその時の直感だ。

私一人の主観だと危なっかしいので、ここに書く前に世間の「赤シャツ」像を確認してみた。

まず、舞台となる道後温泉では赤シャツはどう思われているのか。
社長日記 - 平成16年 1月28日-29日より赤シャツのコスプレ。


松山・道後温泉の「坊っちゃん」しおりには、釣りをする赤シャツ(と野だいこ)がこのように描かれている。


1980年にフジテレビで放映された(私も見た記憶がある)アニメ「坊っちゃん」の赤シャツ(声・八奈見乗児)はこうだ。


どれもコレも大同小異で、私の認識もほとんど一緒だ。念のため、青空文庫にある漱石の原文にも当たってみよう。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。
さて、小池三枝の「漱石作品における服飾」は、上にある3つの「赤シャツ」像は全て間違っていると一刀両断しているのだそうだ。

では赤シャツはどんな格好をしていたのか?

ヒントは皆さんの目の前に提示されている。

答えをご存知の方はそのまま笑って通り過ぎてくださって結構。分からない方は上にある原文をもう一度よく読んでから下の答えをご覧ください。



谷沢先生は論文をこう噛み砕いて説明している。
解答は、漱石がチャンと書いているのに、明治のハイカラすなわち洋服、という固定観念のため、ついだれもが記憶にとどめなかったのだ。赤は衛生のため、と聞かされたその時、すぐさま坊ちゃんは「入らざる心配だ。そんならついでに、着物赤にすればいい(原文ママ)」と内心で嘲笑する。赤シャツ教頭は、和服の下に赤シャツを着込んでいたのである。(同上)
「何という間抜けだ!これで僕は自分の頭の上に乗っけたメガネを探して部屋中ひっくり返すような男を生涯バカにできないだろうな。」(島田荘司『占星術殺人事件』 講談社ノベルズ P.237)という御手洗潔のセリフが即座に思い浮かんだ。つまり、「赤シャツ」教頭は、赤シャツを金太郎の腹掛けよろしく身に付けていたことになる。

さらに谷沢先生はこう畳み掛ける
 明治中期、「四国辺のある中学校」の教頭をつとめ、「猫の額程な町」で、それ相応の地位を保っている男が、「虞美人草」の小野や、「野分」の中野のような、白シャツ白カラーの洋服姿、寸分の隙もない本格のハイカラであってはかえって不自然である。
 漱石が描こうとした赤シャツという人物は、東京の本当のハイカラ紳士とは大いに違う存在だった。土地の人も、本人自身も、都会的な好尚を身につけた、ひとかどのハイカラだと信じている。しかし、東京から赴任した坊ちゃんの目から見れば、一目でお里の知れる、田舎じみた、泥くさい、至ってチグハグな格好だ。つまり「ハイカラ」ではない「ハイカラ野郎」である。そのような「赤シャツ」の存在を象徴するのが、洋服ではない着物の、その襟元から見える赤シャツだったと考えられる。(谷沢「同上」P.74)
ぐうの音も出ないとはこのことで、危うく電車を乗り過ごしてしまうところだった。確かに「着物も袴も赤にすればいい」という言葉は相手が着物と袴と赤シャツを同時に着ている時に言うべきセリフである。それを私を含めて数多の漱石読者は誤読してきたわけだ。道後の人も、アニメ製作者も、今に至るまで。
by haruhico | 2005-01-01 11:43 | ちょっといい話
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