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雖然知道但無法停止
by haruhico
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【速報】男は女のどこを見ているか
わいせつ:
治療装い、女性の胸などさわる 香川大教授を逮捕--高松地検http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20041208ddm041040099000c.html

>高松地検は7日、香川大教育学部教授、岩月謙司容疑者(49)=高松市
>昭和町1=を準強制わいせつ容疑で逮捕した。岩月容疑者は否認している。
>調べでは、岩月容疑者は02年4月27日夜から28日午後まで、自宅の
>浴室や寝室で、神経症的な症状に悩んでいた20歳代の女性に対し、
>「父からのセクハラと母の嫉妬(しっと)という呪いがかかっている」などと
>言い、治療上必要な行為を装い女性の胸などを触るわいせつ行為をした
>疑い。
>岩月容疑者はテレビ番組にも出演。神経症的症例を「思い残し症候群」と名
>付け治療していると称しており、女性は岩月容疑者に治療を申し出ていた。
>02年5月、女性が香川県警に告訴し、県警は03年3月に書類送検。高松
>地検は同12月、嫌疑不十分で不起訴処分にした。

近頃、岩月謙司という大学教授の本が売れているらしい。取り立ててベストセラーばかり読んでいるわけではないが、ベストセラーはブックオフに流れやすいので、ついつい買ってしまう。

 けっこう「積ん読」がたまってきたので、冬コミの行列に並ぶつれづれを紛らわすために棚から「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)を引っ張り出して読むことにした。

 この人の本は基本的に女性に向けての著作が多いが、この本は男性向けでタイトルのつけ方も「バカの壁」のようにキャッチーだ。まぁ、わざわざ新刊で買おうという気はしないが。

 「はじめに」で、ある女性から「いい男がいないから、男性向けにいい男になるためのハウツー本を書いてくれ」という投書をもらったのが執筆の動機だと書いてある。こんな本を買った人間が言うのもなんだが、本を読んだくらいで「いい男」になれるくらいなら、「いい男」がいない、なんて嘆く状況にはならんだろ、と思う。

 岡田斗司夫氏は『30独身女、どうよ!?』(現代書林)の中で「女性の言う『いい男』の条件とは愛人の条件である」と喝破したがまさにその通りで、逆に「男性の言う『いい女』の条件とは愛人の条件である」とも言えるのかもしれない。そう定義してくれれば「そんな都合のいいものがそうそうあるワケがない」と悟れるが、この著者はちょっと違う。

 まず『本書で言う「いい男」とは、美しい行為のできる人のことです(p.12)』と太字で書かれている。正論といえば正論なのだが、これを「人間行動学専攻」の看板を掲げた大学教授が書くことかいな?とずっこける。

 続いて「いい女」にとって重要なことは、「実践で使えるような真の知恵と勇気をもっているかどうか(p.13)」であるという。

 で、その知恵と勇気をどうやって手に入れるかというと「自分の体験を通じておのれ自身の悪と戦ってえられるものです。陰徳を積むことでおのれの魂をきれいにすることで得られるのです(p.18)」の曰う。

 棋士にして、勝負運の研究家である米長邦雄先生が「惜福」や「陰徳」という言葉を使ったって驚かないし、20年無敗の桜井章一会長が「日常生活を改めないで麻雀だけ強くなろうたって、そうはいきませんよ」と曰ってもそういうもんかと思う。しかし、これはちょっといただけない。だって全然「科学的」じゃないんだもの。

 で、第1章が「なぜ女は男に知恵と勇気を求めるのか」という解説に入るはずだが、この本に出てくる「女」というのが揃いも揃って「ヘン」なのである。この女達を総称して著者は「幸せ恐怖症」と断定し、『3歳までに「幸せ恐怖症」という呪いがかけられる(p.51)』と脅す。で、その呪いを解くために男は知恵と勇気が必要だと言いたいらしい。


でも、そんな女は「いい女」じゃないだろ。


 どう考えても自分の研究室に相談にきた「ヘン」な人たちを母集団として論を組み立てているとしか思えない。相談に来ないような「普通」の女性はこの人の頭の中では存在しないも同然なのだろう。

 さらに「ドラえもん」の引用の中で、しずかちゃんのお父さんが「のび太君は、人の幸福を願い、人の不幸を悲しむことのできる人間だ」言ったとある(P.81、出典が明記されていないのでどこでのセリフだか分からない)。だからのび太は「いい男」で、しずかちゃんにふさわしい、と持っていきたいらしい。

 が、多少なりとも「ドラえもん」に接したことがある人間ならこれが真っ赤な嘘であることは明らかだろう。確かに映画版の「ドラえもん」を見る限りのび太の人格は良好なように見える。だが、映画版の「ドラえもん」の世界ではジャイアンやスネ夫ですら基本的に「善玉」なのだ。

 TVや漫画でのび太が何をしているかといえば、スネ夫の持ち物自慢に嫉妬し、自分をいじめるジャイアンにドラえもんの道具で復讐し、何とか失敗を糊塗できないかとか、幸運が自分の上だけに降りてこないか、とばかり考えているではないか。TVでのび太が「陰徳を積む」なんてシーンは皆無ではないだろうが、欲に突き動かされて行動するシーンが圧倒的に多い。ただ、それを露骨に描写しないだけで。

 後半になってくると、こんどは「心の痛みを無視する社会が悪い」「こんな社会だから「いい男」「いい女」が住み辛い」という論調で完全に宗教がかってくる。

 もし、この本が宗教家の著作だったら私は多少納得して読んだかも知れないが、大学教授が「ボランティア活動をやった結果、たまたま人の行動の原理原則を発見してそれを本にしている」と断言されてしまうと、私のような「心が汚れている」人間は、「がんばってね」としか言いようがない。「君子危うきに近寄らず」とはこのことである。

 読み終わって一言。「またつまらぬ本を読んでしまった」。行列待ちのつれづれ以外には読むタイミングのない本なのは間違いない。


今年の1月2日に書いただが、ホントに「君子危うきに近寄らず」であった(笑)。宗教家どころか性犯罪者だったのね。
by haruhico | 2004-12-09 06:45 | バカ
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