雖然知道但無法停止
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贋作「アホバカ間抜け大学紀要」
谷沢永一氏の『あぶくだま遊戯』(文芸春秋・1982)に収録されている「アホバカ間抜け大学紀要」(現在は『これだけは聞いてほしい話』(PHP研究所・1997)に収録)を読んでいて、こんな一節にぶち当たった。
 そして大学紀要にさえ載せれば、それは神聖な研究業績である。売りこみのとき就職のとき昇任のとき、提出された研究業績目録なるものに、まず何篇あるかの量の問題、そして何処に載ったかの大切な"質"の問題、その二点が評価の基準となる。
 どこかの大学紀要が載せた、その論文をうっかり貶価すれば、たちまち当該大学への誹謗となる。大学の自治は冒すべからず、いったん大学紀要に載った論文は、厳粛な審査を通過してきた筈、その学術的価値が保証されている。
 されば書くべし載せるべし、"点数"を稼がにゃソンである。かくして紀要の花ざかりが出現した。
(前掲書P.34 L8~18)
遠い昔、コレにピタリと当てはまる紀要論文をネットで読んだなぁ、と思い久々に探してみたら、まだ恥ずかしげもなくネット上に存在していた。



それは『文教大学 教育研究所 紀要』 第5号 (1996)に収録されていて、執筆者は中村修也。同大教育学部には同姓同名の日本古代史担当の教授がいらっしゃり、1つ前の『文教大学 教育研究所 紀要』 第4号に「観光都市の表と裏-京郡を再考する」なる論文をものしていることから十中八九同一人物と思われる。

問題の論文だが、タイトルからして凄い。
「セーラームーンと幼児教育」である。他の論文とは明らかにタイトルの質が違う。内容がマトモならまだ救いがあるのだが、谷沢氏の言う「ナンセンス論文」そのものなのである。

まず、「セーラームーン」がなぜ大人に知られているのかについて。
大人たちはセーラームーンがどのような話かは知らなくても、制服の美少女たちがセーラー戦士であることは知っていて、その合言葉がコケティシュであることを知っているのである。
つまり、大人にとってセーラームーンは、幼児アニメではなく、現実の女子中高校生が「おしおき」してくれる、あるいは彼女たちに「おしおき」するイメージをもつことで、流行語に参加することができたのである。
「セーラー戦士」というのは一般名詞だろうか?ストーリーを知らなきゃこんな単語を知りようもない。しかも中村は「セーラームーン」を知っているすべての大人を変態扱いしている。それなら論文の題材にしようとした中村は何なのだろう。

表題から教育論と思って読んでいくと唐突にこういう記述に出くわす。
現代社会において、幼児向けテレビアニメの持つもう一つの意味が、このキャラクター商品である。おもちゃ会社はテレビの人気キャラクターを商品化することで、自社の業績アップを企図する。
資本主義社会の日本において、自社の業績アップを望まない企業があるだろうか?いかにもマトモに金を稼いだ事のない象牙の塔の住人らしい妄言である。
またアニメ製作の現場でスポンサーである玩具メーカーの発言力は決して小さくない。企画段階から商品化を想定していないアニメを探すことの方がむしろ難しいくらいだ。しかし、中村の頭の中では「人気」キャラクターが生まれる→玩具メーカーが商品化するという流れになっている。

さらに中村は、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりにメーカーを断罪する。
そこにはおもちゃ本来の有用性や工夫はなにもなく、ただただ人気キャラクターへの依存性のみが見られる。おもちゃ会社には、子どもたちに、楽しいおもちゃ・教育的なおもちゃ・想像性あるおもちゃを与えようという姿勢はまったく見られず、ただ利益をあげるのにてっとり早い方法として、テレビキャラクターを利用している[註1]。その典型が(株)バンダイであろう。
中村は何かバンダイに恨みでもあるのだろうか?
「キャラクター商品≠楽しいおもちゃ・教育的なおもちゃ・想像性あるおもちゃ」というのはあまりにも無根拠な暴論である。

次に中村は「セーラームーン」の要素として3つを挙げる。
セーラームーンには、主人公の設定として、
a①美少女だが出来は良くない。
a②特別の能力を付与されてもあまり効果をだせない。
a③第三者に助けてもらう。
という三要素が見出せる。しかし普通のパターンでゆくと、
b①普通の少女だが、心は優しい。
b②特別の能力を授けられ、平和のために問題を解決する。
b③サブキャラが陰から援助する。
となり、①→②→③という一連のストーリー展開が視聴者を納得させる構成となる。
セーラームーン(月野うさぎ)は確かに出来の悪いヒロインだが、こう書かれるまで無能なのか、という点に疑問は残るが、とりあえずスルーしておく。なぜならこの後が大変なことになっているからだ。
 ようするに主人公「うさぎ」はa①のためだけに存在しているのである。そしてa①の要素とは、まさに現代の少女像にほかならない。
 それは、学校の成績もたいしてよくなく、かといって何か特別なことに一生懸命というわけでもない(a①)。他人が助力しようとしても、それを真剣に受け止めないため、結局、身に就かない(a②)。そして自分を好きになってくれる人の全面的援助を大胆に受け入れる(a③)。都会の彼女たちには、ブルセラ・モデルや援助交際が、大金の入手方法として呈示されている。
「現代の少女像」という言葉が出てきたが、誰にとってのものなのか、という点に言及がない。「現代の少女」は全て「美少女で出来がよくない」のか?そして、a①についての言及でありながら、外見はそっちのけで「学校の成績もたいしてよくなく、かといって何か特別なことに一生懸命というわけでもない」と出来がよくないことだけに触れている。a②、a③に至っては、前提とは何も関係ない。

しまいには「都会の彼女たちには、ブルセラ・モデルや援助交際が、大金の入手方法として呈示されている。」と決め付けているが、「セーラームーン」に該当するシーンがあるのだろうか?あるのならば何話のどこなのかを書くのが学者の良心というものではないか。

つづいて「女性を「美少女」という「ものさし」でしか計らない風潮」の例としてコマーシャルを引っ張り出してくる。
エステティックのCMで「わたし、身体もすごいんです」という台詞がある。これは「身体も」ということの前提として、「顔は当然いいんです」というのがある。会社の先輩女史に対して、若さと美貌を武器に男を味方にすることを全面肯定したCMである。
言うまでもなく、コレは北浦共笑によるTBCのCM「私脱いでもスゴイんです」である。

こんなところにもマトモに裏取りをしていないボロが出てくる。

しかもこのCM、男性の欲望を満たすためのものではなく、女性がこれを見て「エステに行かなきゃ」と思わせるためのものである。ところがそう思う女性を中村はこう断罪する。
ようは女性の人権を真剣に考えている人数よりも、自分の美を高めようとだけ考えている人の数のほうが圧倒的に多いということにすぎまい。
中村の中では、人権と美容は両立しないらしい。人権屋はブスばかり、という実体験に基づいたホンネの吐露なのかもしれないが、これ以上書くと学内の該当者に糾弾されるからか「これ以上、人権問題に踏み込むことはよそう。」と自分から振った話を強引にもみ消している(苦笑)。
主人公「うさぎ」は、バカでも無能力でもよいのである。制服が似合って、プロポーションがよければそれで、現代のヒロインになれるのである。
 つまり、正義=美(顔と身体)という公式が成り立ちさえすればよいことになる。
 これは女児・少女が自ら求めるキャラクターでは、けっしてない。では誰の求めるキャラクターなのか。それは、女子中学生をブルセラの対象とし、コギャルを性のはけ口にしようとする大人の求めるキャラクターにほかならない。
 セーラームーンは子どものためのキャラクターではなく、大人のためのキャラクターなのである。
毎度毎度、中村の全く要約になっていない「つまり」の使い方には辟易するが、

「正義=美」とはなんぞや?

「正義の味方は常に美しい」と言いたいのであれば、「セーラームーン」における敵役は全て醜いのか?そんなことはあるまい。一見のやられキャラはさておき、レギュラーの敵役は邪悪な相を持つもののおおむね「美形」である。であればこんな等式は成り立たない。また中村は「セーラームーン」は「女子中学生をブルセラの対象とし、コギャルを性のはけ口にしようとする大人の求めるキャラクター」であり「女児・少女が自ら求めるキャラクターでは、けっしてない。」と力んでいるがそれは勝手な思い込みである。むしろこうまで拘るあたり、中村自身の嗜好を問わずがたりに書いているかのようだ。

さらに読み進んでも「幼児教育をいかにするか」ということについては「テレビ以外の方法で家族の団らんを形成するのがいいに決まっている」以外は何も書かれていない。

「おわりに」では
金の亡者たる企業にはなにも言うまい。だが、クリエイター達にいいたい。対象を考えてものを作って欲しいと。大人には大人向けを、そして幼児には幼児向けのものを。
そのうえで、初めて作品の善し悪しをいおうではないか。今はそれ以前の段階である。
とついにバンダイと東映動画に対する謂れなき非難と製作者の責任論になってしまっている。

もう忘れてしまっているかもしれないが、この駄文は『文教大学 教育研究所 紀要』に掲載されたものである。
羊頭狗肉とはまさにこのことだ。
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by haruhico | 2004-08-07 19:13 | バカ | Trackback | Comments(2)
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Commented by dr-enkaiza at 2004-08-07 21:19 x
クラッシック音楽関係の音盤評論も学者の酷いですが。
今回の当該事例も「ナンセンス論文」そのもでありますね。
セーラームーン自体発祥は原作者(*)の東映のヒーローもののコンセプトからのインパイヤされた点の言及がなければ、とくに③サブキャラが陰から援助する。と言う結論に帰結するようなことは疑問であり、それ自体で言説はあり得ないと思い、それらの裏を取らないあたりは「学者」として失格のような気がしてならないですね(笑)てぃいい大人がむきになってしまいました。
(*)竹内直子はこれの前にスケートの青春恋愛「チェリープロジェクト」の好評を受けて編集に初めて自発的なテーマで作品を書くこと許可され、「コードネームはセーラーV」を発表しておりそれの好評がムーンへ受け継がれており。世界観は「チェリープロジェクト」の登場人物など受け継いでいる。
Commented by haruhico at 2004-08-07 22:37
>セーラームーン自体発祥は原作者(*)の東映のヒーローものの
>コンセプトからのインパイヤされた点の言及がなければ、とくに③
>サブキャラが陰から援助する。と言う結論に帰結するようなことは
>疑問

なるほど、そういう元ネタがあったのですね。
「セーラーV」について言及しようとしたのですが、私自身が全く読んでない(苦笑)のでマトモな文にならず触れられませんでした。
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