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雖然知道但無法停止
by haruhico
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ボストンからの「シベリア超特急」
元ネタ:スゴイ奴が来るらしい

子供の頃からクラシックは苦手だった。何しろ膨大な曲数があり、演奏家だって星の数ほどいる。何を聴いたら良いんだかサッパリ分からない。特に交響曲は何を聴いても同じに聞こえる(「運命」と「第九」と「新世界」の区別くらいは付くが)。

高校の時の親友がクラシックファンで、休みの日には「第九」を5枚だったか6枚だったか聴き比べをするというのを聞いて呆れたことがある。何でわざわざ同じ曲を(まして、どれも同じに聞こえる交響曲を)色々買いそろえて聴くのか。「~ならこの1枚」という定評のあるCDが1枚あればいいんじゃないの?としか思えなかった。

そんな私にも縁あって好きなクラシック曲が3つある。ヴィヴァルディの「四季」、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」、リストの「超絶技巧練習曲」だ。

「四季」はたまたま家にイ・ムジチ合奏団のカセットテープ(1959年版・Vn:フェリックス・アーヨ)があり、それこそすり切れるほど聴き込んだ。引っ越しのドサクサで紛失してからはしばらく聴いていなかったので、先日同じイ・ムジチ合奏団のCD(1982年版・Vn:ピーナ・カルミレッリ)を手に入れて聴いてみたらあまりの違いに驚いた。少なくともカルミレッリ版はくつろぎたい時に聴くものではない。ちなみに好きな順に「夏」「春」「秋」「冬」。

「超絶技巧練習曲」は代ゼミの矢木先生が授業中に勉強の仕方を話す際に話題として取り上げていて、大学に入ってから何の気なしにラザール・ベルマンのCD(1963年版)を購入した。選んだ理由はジャケットが格好良かった(爆)ことと帯の「リヒテルと私が四手でかかっても、ベルマンには敵わない―エミール・ギレリス」という惹句が意味ありげだったことで、あとで調べるとこれもアーヨ版の「四季」同様定番中の定番(にもかかわらず現在絶版・泣)ということが分かった。買ってすぐ聴いた時に「前奏曲」と「練習曲 イ短調」の壮絶な弾きっぷりにシビレたが、しばらくして全く聴かなくなってしまった。

先日、ひょっこり思い出して聞き始めたらまたハマってしまい、あるピアニストの演奏評を読んで、アメリカのamazonで片っ端から「超絶技巧練習曲」を試聴したが、どれ1つとして満足行く演奏がなかった。他を聴けば聴くほどベルマンの「Mazeppa」(リンク先は1956年版)が尋常でないのかが明らかになってくる。名盤といわれる所以であろう。

最後に今回聴きに行った「ゴールドベルク変奏曲」である。

私が小学生の頃、オヤジがシーラ・オストランダー「スーパーラーニング」(朝日出版社)という本に影響されて(確か本の中で勧めていたハズ)買ってきたのがグールドの1955年版疑似ステレオ録音のカセットだ。カセットがFeCr(TypeⅢ)のDUADだったことを未だに覚えている。買ってきた時期を考えると81年版はまだ発売されていない。これも「四季」同様カセットがすり切れるほど聴いたし、ライナーノーツも読み込んだ。

55年版を聴いていて何かヘンな音が混じっているなと思ったがその謎は高校の音楽の授業中に解明された。月一くらいのペースでオペラやクラシックのビデオを見るのだが、そこでたまたまグールドについてのビデオを見る機会があり、演奏しながら鼻唄を大音量で唄っている(録音中なのに!)事が分かった。意識して聴き直すとやっぱり唄っている。55年版は録音技術者が一生懸命消したとみえて幽霊の声のようにしか聞こえないが、1981年版はハッキリと聞こえる(苦笑)。しかも旋律と関係ない(爆)!一人静かに部屋で聴いていると突如として背中の方から謎の声がするのはやっぱり気味が悪い。

81年版を最初に聴いたのはいつのことだろうか。大学に入ってからは間違いないのだが、最初のアリアのテンポが遅い上に55年版が頭に叩き込まれていたせいか、繰り返し部分を冗長に感じて酷評していたが、今、書きながら55年版(38'24)と81年版(51'20)を聴き比べて(すでに書き始めて1時間半以上経過・苦笑)みると意外に81年版はメリハリが利いている事を発見した(81年版を通して聴いたのは数年ぶり)。遅いことは確かに遅いのだが、曲によっては55年版より速いのでは?と思える部分もある。55年版が一本調子にスピードとシンプルさを追求したとしたら、81年版はトータルバランスを追求したと言えるだろう。よくよく考えれば、55年版のカセットを紛失したあと、長い間この81年版とコープマンの演奏ばかり聴いていたのだから全く合わないということもないのだ。

81年版を嫌いになった理由の1つは、浪人時代にお茶の水のディスクマップでコープマン「ゴルトベルク変奏曲」(87年録音・62'21)を聴いて衝撃を受けた事もあるだろう。某所で酷評されていて、読むごとにカチンと来るが、全編これ装飾音の固まりで、55年版のあっさり味に対してコテコテの重厚な味わいながら、それでいて装飾音の量がハンパじゃなく多いため、演奏時間が81年版より10分長いにもかかわらず演奏者が音を紡ぎ出すスピードは決して遅くはない。派手な演奏だが遊び心があって何度聴いても飽きない。

その後、たまたまブックオフで手に入れたのがピノックの「ゴルトベルク変奏曲」(80年録音・60'45)。コープマンとピノックがチェンバロ(グールドとシェプキンはピアノ)なので対比しやすいのだが、コープマンが数学的秩序を保って最後のアリア以外の反復を同じ形に整えているのに対して、ピノックは曲ごとに反復の型を変えているので、コープマンを聞き慣れている耳には予期しない音が突然飛び込んでくるので心臓に悪い。また、全体の演奏時間はコープマンより短いものの(実際は反復を飛ばしているから短いだけ)、スピードが命の第12変奏を蠅の止まりそうな遅さで弾いたりして、間延びした印象を受ける。その点を除けば過剰さのない教科書的演奏で、グールドやコープマンの良さを測る物差しとなる演奏とも言える。

「ゴールドベルク変奏曲」に対する私の立ち位置はこの辺にして(笑)、そろそろコンサート当日のお話に。

あらかじめコンサートに行くと言いふらしていたので、ほぼ定時で仕事場から離脱。明日トラブルになっていないかちょっとコワイ(苦笑)。

開場時間を30分勘違いしていて、現場に着くと外に当日券を待つ人の列しかいなかった。

早めに来たのは、前に引用したのとは別の毎日新聞の記事で触れられていたCDの販売がお目当てだったのだが、仕方がないので近くの商業施設の本屋で時間を潰す。

開場時間を少し過ぎたあたりで戻ってきたので、会場前の行列は見なかったが、クロークが混雑していた。クラシックのコンサートだとこんなモノがあるのかと感心した。預けても良かったのだが、帰りが大変そうなのでCDを即売しているところへ直行する。シェプキンのCDを全部持ってきたのかと思いきや、販売しているのは「THE GOLDBERG VARIATIONS」のみ(@2500円)。ただし購入者には終演後サイン会の特典が(驚)。もちろん一も二もなく購入する。

席についてあたりを見渡す。ステージにはスタインウェイのピアノが1台ポツンと置かれている。舞台から向かって左手の席なので手元が余りよく見えない。

空いてる席は結構あったが、私の席は2組の2人組の谷間でちょっと窮屈。座ろうとした瞬間、コートの裾が隣の席にかかって隣のオヤジが嫌そうに咳払いをする。うわっ、感じ悪。まだ演奏前なんだし堅いこと言うなよ。

座ってみるとさすがはS席、前回神奈川県立音楽堂に行った時(自由席だけど)には前の席との間隔が狭くてエコノミークラス症候群一歩手前になったけど、今回は足許がゆったりしていてのんびり出来る。

リアル知人がウチの記事を見てチケットを取ったらしいのだが、私よりずいぶん後に取ったのに私より一列前だという。席番号のあたりを見てもまだ誰も座っていない。とりあえず広告とプログラムに目を通す。

このトリフォニーホールは「ゴルトベルク変奏曲」にこだわりがあるらしく、年内にあと3回もこの曲のコンサートがあるという。それぞれアコーディオンとパイプオルガンとピアノと、演奏家だけでなく楽器までも様々に取り揃えている。中でもパイプオルガンの「ゴルトベルク変奏曲」というのは全く想像がつかないので、土曜日(10/20)だし、余裕があったら聴きに行ってみたい。

演目は

J.S.バッハ/カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」変ロ長調 BWV992 (1704)
ソフィア・グバイドゥーリナ/シャコンヌ (1962)
J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲 ト長調 BWV988 (1741-2)

で、クラシックに暗い私はもちろん前の2曲を全く知らない(苦笑)。

プログラムを読むと古典的なバッハと前衛的なグバイドゥーリナを取り合わせてレパートリーの幅の広さを見せつけようとしているようだ。

開演近くになってようやく知人が席に着いた。時間も時間だし、とりあえずアイ・コンタクトだけとっておく。

開演時間になってシェプキンが入ってくる。拍手の中観客にお辞儀をする。ダランと垂らした両腕の位置が何かヘンだ。よく見るとさすがに大きな手をしている。

聴いたことがないので、全体よりも個々のフレーズに目が行き、数学的厳密さをもって積み上げられている感じを受ける。いかにもバッハ的だが、既にRealAudioで聴いているシェプキン独特の「軽さ」も随所に見せていた。

これを書くために調べていたら、グールド以前の「ゴールドベルク変奏曲」として著名なWanda Landowskaの「Legendary Performers: Landowska」にこの「最愛の兄の旅立ちに寄せて」が「ゴールドベルク変奏曲」全曲と共に納められているのは単なる偶然の一致だろうか。

1曲弾き切っていったん下手へ。どうもこの辺のクラシックのお約束というのが分からない。拍手の量もそんなにせんでもいいのでは?というほど1曲目から飛ばしている。

2曲目は作曲者すら知らない現代曲。曲としてはいつ「芸術は爆発だ!」(by TARO)と叫んでもおかしくないような(古い喩えだが)1曲目とは対照的な曲。というか、火曜サスペンス劇場の効果音を延々と聴かされている感じここの1曲目にサンプルがあります)。フォルテシモが力強く、技巧的なところも聴かせる。シェプキンのレパートリーに「超絶技巧練習曲」のNo.8 Wilde Jagdがあるのも頷ける。

さあ、指慣らしが済んでいよいよ本番、と思いきやここで20分の休憩ということでずっこける。次は1時間を超える(シェプキンのCDだと71'53)の大曲だけにいったん間を置きたいのか。

観客がゾロゾロ席を立って周りに空席が出来る。こんな幕間があるならココを目指してちゃんと仕事してくれば良かったか(笑)。

知人が席を立ってこちらにやってきた。2月一杯仕事が詰まっていて、ようやく解放された(ムリヤリ離脱してきた?)ので一息つくためにこのコンサートに来ることにしたという。ついでに銀座の吉村芳生さんの個展も見てきたというので感想を聞いた。もちろん私はとっくの昔に行ってきている(忙しくて記事を書く余裕がないだけ)。知人は今回見に行くのが初めてなので、2回目の私とはちょっと違った感想。評価が高いことには違いないのだが。

また隣のオヤジが戻ってくると煩そうなので、世間話も早々に打ち切って小用を足しに行く。ついでにCDの売れ行きを見ると完売していた。まあ、サイン会が付かなくても日本ではまだ入手困難なCDだからアタリマエだろう。

戻ってくると隣の夫婦は席に戻っていた。あたりを見渡すとポツン、ポツンと空席があるもののだいたい埋まっている。値段が値段だし(知人も値段で決めたという)まあ妥当なところか。ところが、幕間が終わりかける頃、突然隣の夫婦が席を立った。これから大一番だというのにどこへ行くのか。曲に入ってから戻ってくるなんて大迷惑だろ?と思っていたらそのまま帰ってこなかった(爆)。何か急用でも入ったのだろうか?

記事を書いてからずっとRealAudioをヘビロテで聴いていたので特に違和感もなく入れた。モチロン生音が心地いい。CDとライブでは全く違う演奏家もいるらしいが、どちらかといえばライブでもCDに近いパフォーマンスを出せるタイプのようだ。

RealAudioで聴き慣れた第2変奏まででもミスタッチらしきものは認められたが、名にし負う難曲だけにライブならこの程度は仕方ないのだろう。

Amazonの方にしかRealAudioがなかった第5変奏で局面が一変した。CDの演奏自体充分に速い(1'20)のだがグールドの演奏(55年版、81年版ともに0'37)の領域の速弾きだ。

実際に演奏しているのを見て改めて思うが、この曲は元々2段鍵盤のチェンバロ用に作曲された曲で、チェンバロなら手の上下動で弾けるところも1段鍵盤のピアノでは遠く離れた鍵盤を飛び飛びに叩くことになる。CDより明らかにスピードアップした反面、明確なミスタッチが目立つようになる。

クラシックのコンサート自体が初めてなので、どの程度のミスが許容範囲なのかは分からないが(CDはリテイクがあるのでライブと単純比較してはイケナイことくらいは知っている)生で見る技巧に凄みをおぼえるものの、果たしてそんな無茶をする必要があったのだろうかとも思う。他にも第20変奏あたりも明らかにスピードオーバーでまるで「シベリア超特急」(違)。あまりに速すぎて見ている方がドキドキする。

初コンサートの心配のあまりRealAudioを聴き込んで行ったのが失敗だったか、あら探しのような聴き方になってしまったが、CDを聴き慣れていてもライブでまた違った面を見せられるというのは営業上良いことなのだろう(全く同じならCDを聴いていればよいのだし)。

終演後万雷の拍手でシェプキンがお辞儀すること6回。4000円ぽっちでアンコールを要求すること自体ド厚かましいか(爆)。後にサイン会もあることでそのまま終幕。皆が拍手している中、速攻で立ち上がった人達はサイン会目当てだろうか。

知人と合流してサイン会の列に並ぶ。出口が混んだせいでなかなか列にたどり着けず、ほとんど最後尾に並ぶ。シュリンクの上からサインしてもらうわけにも行かずシュリンクを破ろうとするが、国産品のようにリボンが付いているわけではないのでみんな悪戦苦闘している(笑)。たまたま左親指の爪を伸ばしていたので蓋と台の境目に爪を入れてようやく開ける。隣に並んだオヤジにも指南したが、それでも悪戦苦闘しているのを見かねて切れ目だけ入れてやる。どこにサインしてもらおうか考えていたら、前に並んでいたオヤジは器用に台を外して背中の紙を取り出していた。ナルホド、そこは保護されているのだから上手い考えだ。みんな盤面にしてもらっているので私も盤面にサインしてもらった。

サインの貰い方を見ていると女性は結構為書きを要求している。為書きをがあるとサインの価値は落ちるんだよ~(笑)。さて、何人がヤフオクにアップするのかなぁ、と思ったら現時点で1枚も上がっていない。ちょっと心が黒すぎるか。

後になって気づいたが日付を入れて貰えば良かった(さもなければ当日のパンフレットに)。もっとも米国在住のロシア人に英語で話しかける自信がないからその時気づいたとしても出来なかっただろうが。

撮影は野放しだったので結構みんな携帯で撮っていたが、余りにも酷かったので私がサインをもらうところを知人が撮ろうとしたらマネージャー(?)に邪魔された。まあ、CDも買わずにミーハ気分でオバちゃん達がヘンなシャッター音を延々と鳴らし続けていれば仕方ないか。一応、並んでいる時にこっそり1枚撮ったけど。写真の女性はCDではなく楽譜にサインをねだっていた。
ボストンからの「シベリア超特急」_a0001324_23431346.jpg
そのまま半蔵門線で帰っても良かったのだが、知人が憤懣やる方ないといった感じだったので新宿方面に帰るのに秋葉原までおつき合いした。

2日連続、業後にかけずり回ったのでヘトヘトだ。土日はどこへも出たくない。

【P.S.】
クラシックを分かっている人の感想が読みたい方はこちらへどうぞ。(順不同)

「ゴロウ日記」 即決、セルゲイ・シェプキン
http://www.gorodiary.com/archives/2007_3_2_343.php
「2+12 Life」 シェプキンのゴルトベルク変奏曲
http://osuga.livedoor.biz/archives/50980794.html
「あもるくんの日々」 セルゲイ・シェプキンのコンサート。
http://ameblo.jp/amoru-kun/entry-10026989463.html
「あぁ、そうだったのか的備忘ログ」
セルゲイ・シェプキンのゴルトベルク変奏曲
http://plaza.rakuten.co.jp/ponchiki1122/diary/200703030000
「とろはまち の とりとめのないはなし」
シェプキンのゴルトベルクを聴きに行く。
http://blogs.yahoo.co.jp/torohamati/45263035.html
「『こたつ』の音楽日誌」 弥生。
http://storekeeper.at.webry.info/200703/article_1.html
「なるべく統計学を中心に書くよう努めます。」
シェプキンは初来日だったのか。知らなかった。
http://ruimiu.exblog.jp/5260581/
「みみながコレクション・ぷらす」 ゴルドベルク変奏曲
http://miminaga.exblog.jp/5643746/
「大人からはじめたヴァイオリン」
セルゲイ・シェプキン ゴルトベルク変奏曲:Concert Report
http://nao5656.exblog.jp/5640745/
「とにゃりん。備忘録」 ゴルトベルク変奏曲そして、とにゃりんのお説教
http://tnysatchmo.exblog.jp/5258041/
「sans-souci」
すみだトリフォニーホール「ゴルトベルク変奏曲」セルゲイ・シェプキン
←「朝日新聞」のコンサート評全文あり
http://minuityyy.blog68.fc2.com/blog-entry-122.html
「蕩尽伝説」 歓喜のバッハ
http://www.mypress.jp/v2_writers/devenir/story/?story_id=1578935

メジャーなコンサートでもないのにこんなに一杯(しかもエキブロだけ5人も!)書いているのにビックリ。
同じコンサートを聴いても十人十色の評価。
私に一番近いのは「torohamati」さんかなぁ。

確かに咳込む音は聞こえました。料金と客の質は比例するのでしょうかねぇ。

【P.S.2】
「torohamati」さんのところで紹介されていたグールドの映像。
グールド唄いまくりです。必見!

Gould plays Goldberg Variations Aria & var.1-7
http://www.youtube.com/watch?v=IJhs2tSoP5c
Gould plays Goldberg Variations var.8-14
http://www.youtube.com/watch?v=UzO0XWcnA38
Gould plays Goldberg Variations var.15-17
http://www.youtube.com/watch?v=9XsExacnVoM
Gould plays Goldberg Variations var.18-24
http://www.youtube.com/watch?v=WZ0SVYf0-Qc
Gould plays Goldberg Variations var.25
http://www.youtube.com/watch?v=zcA-XtPgTLw
Gould plays Goldberg Variations var.26-30 & Aria Da Capo
http://www.youtube.com/watch?v=YOaeJhcCtbE





直前に出た朝日新聞の記事

「静かなる終焉」鍵盤に込める 初来日のシェプキン
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200702280257.html
ロシア出身で米国に住むピアニストのセルゲイ・シェプキンが、東京でのリサイタルのため初来日した。95年に録音し、今も名盤として全世界に知られるバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴かせる。人前で演奏する機会は極めて少ない。音楽業界でもやや謎めいた存在である彼の、独特の音楽観を聞いた。
「願わくば、ピアニストというよりひとりの音楽家でありたい」。バロックから現代曲まで、レパートリーの幅は広いが「弾きたくない曲は弾かない。音楽以外の世界を楽しむよう、心がけています」。背筋をすっと伸ばし、相手をまっすぐ見据えて静かに語る姿は禅僧をすら思わせる。
90年、自由な生活を求めてロシアから米国に移住、今はボストンに暮らす。勤務先の大学があるピッツバーグに出かける以外は「ゆっくり寝て、ゆっくり起きて――」。今回の来日も、「ゴルトベルク」シリーズを実施する、すみだトリフォニーホールのプロデューサーの熱意に応じたものだ。
彼の「ゴルトベルク」には、そんな悠々自適の生活が培った自由な精神が、存分に発揮されている。歴史的様式を踏まえたうえでの自在な遊びを、とあるアメリカの主要音楽誌は、グールド、シフらの巨匠に並べて称賛した。
30もの長大な変奏ののち、最後に静かに回帰する主題を「生命を謳歌(おうか)したのちの、ブラックホールのごとき終焉(しゅうえん)」と表現する。「音量や規模を拡大していく、近代的なドラマづくりとは対極的。死にあまりに近づきすぎたので再び生に引き返す、あるいはさりげなく宇宙に帰っていく――。そんな、静かで深いクライマックスを味わえる」
敬愛するグールドの影響を認めつつ「彼から受け取ったのは、表面的な解釈ではなく、自分の想像をどう説得力を持って聴衆に伝えるか、という問いかけ」。
映画や読書が趣味で、化学や生物学の研究に、はまった時期もあるという。人生の快楽と芸術的な探究は相反するものではない、と語る。「バッハがいかに人生を楽しんでいたかは、その音楽が証明している。多少踏み外してもバッハは怒らないでしょう」と笑う。
古楽的奏法を柔軟にとりいれるが、楽器はチェンバロではなく現代のグランドピアノ。「現代の感性と古楽的アプローチの完全なる『結婚』。私の究極の目標は、そこにあるのかもしれません」。そう語る目に、穏やかな野心が宿った。
演奏曲目は、他にグバイドゥーリナ「シャコンヌ」など。3月2日午後7時、東京・錦糸町のすみだトリフォニーホール。4000、3000円。電話03・5608・1212(ホール)。
全世界に知られているわりには、i-TunesにもMediaPlayerにもCD情報が登録されていなかったのですが(爆)。

盤面にサインして貰ったせいか、1995年のデジタル録音の割になーんかこもったような音がするのは気のせいですかそうですか。
by haruhico | 2007-03-05 01:02 | 書評
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