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雖然知道但無法停止
by haruhico
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久しぶりにヒドい記事を見た
夕食時のつれづれに「東京新聞」の夕刊を読んでいて、そのあまりの支離滅裂さに驚いた。まずは以下のコラムを読んでいただきたい。

[放射線]大事な原点
 忘れられない強烈な原点がある。六〇年安保の時、私は小学校三年生だった。テレビをつけると「安保反対、岸倒せ!」のシュプレヒコールとともに、国会周辺の激しいデモとぶつかり合いの様子が、連日映し出されていた。子ども心にも、何かしなくてはいけない、と思ったらしい。私は学校から帰ると、ランドセルを放り投げ、銀行がおまけにくれた紙のランドセルを背負った。そして「アンポハンタイ、キシタオセ」と叫びながら、家の周りを一人でデモごっこをした。家族がそういう雰囲気だったわけでは全くない。
 その翌年、六一年の運動会だ。保護者席を見ると、何とその岸信介さんが座っているではないか。私の一年下の安倍クンと新入生の安倍クン。孫が二人小学生になったので、おじいちゃんが観にきたのである。オー、新聞に載っていた風刺漫画そっくりの顔、と思った。
 昼休みに、サインを求める子どもたちが殺到した。私も土でドロドロに汚れたプログラムを差し出し、裏にサインしてもらった。それは長い間、私が宝物を入れておく、高級クッキー缶の中にあった。
 しかし、と高校生になってはたと気づいた。どうも私は首尾一貫していないじゃないか。子どもであっても、あの時何かを感じて”倒せ”と叫んだ人のサインを、なぜ後生大事に持っているのかと。で、捨てた。
 当時は自分でもよくわかっていなかったが、長いものにまかれてはいけないのだと、最近つくづく思う。次々と法案が通り、この国を覆い始めた妙なムード。「美しい国」という言葉のもと、このまま長いものにまかれ、戦争に突き進むのは断固ごめんだ。(熊谷 博子=映像ジャーナリスト)
こんな文章を読んだ後にWikipediaの「イデオロギーや特定のスタンスに偏向することなく作品を制作している。」などという文を読むと空々しさを感じる。小学校の頃に時代の空気に流されて意味も分からず「アンポハンタイ、キシタオセ!」と叫んだこと自体は微笑ましいエピソードであるが、どうやらこの人はそこから思考を止めてしまったようだ。

六一年の運動会といえば、総辞職後、暴漢に襲われて重傷を負ってから一年ほどで、浅沼稲次郎暗殺事件からも一年経つか経たないかの時期である。首相を退いたとはいえ、孫の小学校の運動会に顔を出し、多くの子どもたちにサインをせがまれてそれに答える姿は孫を愛でる祖父の姿として微笑ましく思っても悪く言う道理はまったくない。

それがこの映像ジャーナリストにかかると、岸元首相のサインを持つことは長いものに巻かれていることになるという。長いものに巻かれているのは意味も分からず「アンポハンタイ、キシタオセ!」と叫んだ姿であって、サインを貰ったことではない。

反戦平和という病に取り憑かれると、そんな簡単なことさえも分からなくなるのか、と暗然たる気持ちになった。
by haruhico | 2007-01-22 22:48 | バカ
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