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雖然知道但無法停止
by haruhico
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太陽エネルギー切れかな
岡本敏子さんが自宅で急死 岡本太郎記念館館長
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2005042001001013

>20日午前10時ごろ、東京都港区南青山6ノ1ノ21、岡本太郎記念館館長
>岡本敏子さん(79)方の自宅で敏子さんが死亡しているのを同館職員が
>発見、110番した。病死とみられる。
>敏子さんは画家岡本太郎氏の養女で千葉市出身。同館によると、敏子さん
>は同館横のマンションに一人住まいで、風呂場で倒れていた。職員らは18
>日夕から敏子さんの姿を見ていなかったという。
>東京女子大在学中に太郎氏と出会った。約50年間、秘書として原稿の整理
>や作品の制作、取材活動を支え、後に養女となった。
>太郎氏が亡くなった1996年、現代美術の創作活動を支援しようと、岡本
>太郎記念現代芸術振興財団を設立して理事長に就任。太郎氏の自宅兼
>アトリエを岡本太郎記念館にして開放し、作品や著作を伝える活動を続け
>ていた。

敏子さんが表舞台に出たのは1996年に岡本先生が亡くなってからだと思う。つまり「岡本敏子」というパーソナリティが世間に認知されたのはたかだか9年前のことだ。そして、岡本先生を最も知る人物として、「岡本教」の布教に努めてきた。美術番組のゲストなどで発言する様はエネルギッシュで、あの岡本先生と丁丁発止を繰り返すにはこれくらいのパワーがないと付き合えないんだな、と何となく思っていた。

今回訃報を聞いて一番驚いたのはその年齢である。戦後すぐに岡本先生の秘書となり、後に養女となったという経歴は何度も本で見て知っていたのだが、まさかデビュー時に既に70を超えていたとは思わなかった。

デビューから9年、岡本先生の作品の管理や著作集の監修、岡本記念館館長としての仕事や美術振興活動と八面六臂の活躍で、殺しても死なないようなバイタリティを感じていたのだが、敏子さんもやはり人間だったということか。

突然の死は岡本先生から受けた太陽エネルギーが尽きたためではないだろうか。

一ファンとして、謹んでご冥福をお祈りしたい。
by haruhico | 2005-04-23 23:40
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